JONYのブログ

半蔵門の裏町で小さなBarをしながら文学と美術だけで生きている男のブログ

人生の短さについて


『多忙に追われている者たちの心は今なお幼稚であるのに、彼らの心を老年が不意に驚かせる。先が見えなかったため、用意も防備もないままに達した老年である。彼らは突然思いもかけぬうちに老年に陥る。老年が日々近づいていることに気が付かなかったのである』
セネカである(岩波文庫 青607-1)。俺はこの本を10年以上も前になるが、入院中のベッドで読んだ。1冊の本が人生を変えることがある。俺の場合はこのセネカ著「人生の短さについて」だった。
 少し長くなるが、入院したときのことを記しておく。
 その日の朝、俺は会社からタクシーで無理やり秘書に大学病院に連れていかれた。タクシーの後部座敷に座り、その日の午後に調印予定の契約の内容について、前の助手席に座った秘書にレクチャーさせながら、首都高速の西新宿を降りたのを覚えている。病院に着くと血と尿を取られ説明のための部屋らしき狭い空間で待たされた。若い医者が入ってくるなり、「CTをとりましょ」と言われ、看護婦に連れられてCT室に移動させらた。結果は昼前に出た。「脳梗塞です。すぐに入院してください」。この数日の俺の様子の異常に気付いた秘書の慧眼だった。午後の契約のことが気になっていた俺は、「明日以降に、入院の支度をしてまた来ます」と言いかけ、秘書にたしなめられた。「社長。契約と命とどちらが大事なのですか。専務のスケジュールを空けてもらっていますので、契約は何とかなります。それより、奥様の携帯の番号を教えてください」
 俺はスーツをハンガーに掛け下着姿になって、妻が来るまで病院のベッドで横になって点滴を受けた。ここ数日、俺が左足を引き摺り顔の右半分だけに汗をかく様子に、妻よりも毎日長時間、俺と顔を合わせている秘書は、脳卒中の兆候を発見したのだった。
 それから、100日間、病院を出られなかった。ひとつには、俺が我儘を言い、俺の担当医の教授から聞きだした日本一の腕を持つ別の病院のドクターに手術の執刀をしてもらうため、他所のドクターのスケジュール空きを待っていたせいだった。手術は成功した。100日は長かった。が、無駄な100日ではなかった。入院したとき、85Kgあった肥満体だった俺の身体は、退院のときは58Kgの標準体型になった。痩せた俺の体型に合わせ服を作るために、病室に採寸にきたテーラーの親父さんは俺の変化に驚き「人間変わるものですね」と言った。それよりも、変わったのは俺の心だった。入院して初めて「俺も死ぬんだ」と言うことに気付いた。(それはこの入院で死ぬかもしれないという意味ではなく、今回、助かっても、いずれ老いれば必ず死ぬといことに、死の恐怖に生まれて初めて向き合ったということだった)。それまで、自分が若い青年の延長でいる気分でしか生きてきていなくて、自分が死ぬことを完全に忘れて毎日を恋とヨットなどの遊びに忙殺されて生きていたのだった。入院して、「これは金稼ぎなんかで人生を使っている場合じゃないぞ」とようやく思い知ったのだった。病院に閉じ込められて、暇を埋めるために、会社のアルバイト大学生を使って、それまで手を出したことのない、文学書、美術書、画集、名作映画DVD、クラシックCDを新宿紀伊國屋書店などから病院に持って来させた。もちろん、会社や自宅の書棚には蔵書があったが、すべて専門書ばかりで、俺が芸術に触れるのは子供のころ以来だった。俺は、ほとんど初めて知る芸術の世界の魅力に圧倒された。そのための時間が欲しくてたまらなくなっていった。と同時に、学校を出てから(正確に言えば学校を出る前に起業してから)、今までの間、恋愛と金稼ぎと海洋でのヨット遊びしかしてこなかった自分の愚かさを痛感した。このままでは知るべき価値あるものを何も知らないうちに死んでしまう。
 俺がセネカの「人生の短さについて」に出会ったのはまさにそんなときだった。セネカの『実際、多忙な人に限って生きること、すなわち良く生きることが最も稀である』『費やす時間の全てを調べあげて見るがよい。どんなに長い時間銭の勘定をし、あるいは陰謀をめぐらし、人の機嫌を取り、人から機嫌を取られ、あるいは今では義務とさえなっている酒宴で費やしているか』などの言葉はいちいち俺の心に刺さった。
 俺は長い病院生活から退院した。その俺を待っていたのは専務を中心としたクーデターだった。取締役連中の曰く、「社長しか代表権を持たないとまた社長のお身体に何かあったときに(脳梗塞の再発率が高いことをすではすでに調べられていた)対応が遅れてしまうかも知れませんので、念のため外にも、代表権を持った取締役(つまりは専務のことだ)がいれば、社長もご安心いただけるかと」。その実(ジツ)は、この100日の間に俺の目の届かないところで、税理士(これは俺の最初の女房だが)から、俺が、個人的な遊びに使っている会社の福利厚生などの膨大な経費の額を伺い知って、俺さえいなければ会社はより大きな利益を計上でき、事業拡大ができる(ひいては取締役報酬も増額できる)と読んだのだ。入院前の俺だったら、即座に臨時株主総会を開き専務とそれに賛同する役員を取り換えただろう。しかし、俺は、もう、金を稼ぐために自分の時間とエネルギーを使うのをやめようと決めていた。
 俺は専務に「そんな面倒なことしなくても、俺の所有する株式を適正評価額で譲ってやるよ」と言った。専務は最初、嵐の前の何かの冗談かと思ったらしく、棒を飲んだように黙ったが、俺が本気らしいと気づくと、「では早速○○先生に連絡します」と言い出したが、「俺の元女房では適正評価と納得できないだろう。△△監査法人に依頼しろよ」。彼は俺の顔を信じられないものを見るような目で見て、俺の気の変わらないうちにと思ったようで、「はい。では早速」と会議室を飛び出して行った。こうして部下に俺が育ててきた会社を奪われた。否、違うな。会社を持っていると、金に追われる。俺はもうそれが嫌になって、もはや金を稼ぐ必要がないことを選び、会社を放り出した。幸い、俺には子供がいない。今の妻には悪いが、金持ちになるのをやめて、小さな生活をすれば、芸術のディレッタントとして今後幸福な人生を送れる。それに気づいた俺は育ててきた会社を捨て自分のエゴイズムで生きることを選んだのだった。しいて言えば、金持ちの生活を期待していたとしたら人生を狂わせられた妻は、被害者なのかも知れぬが、結婚自体博打みたいなものなのだから、諦めてもらうしかなかろう。
 会社を去る日、俺の部屋に、入院に付き添った秘書が赤い目をして、やってきて言った。
 「社長、事態を止められなくて申し訳ありませんでした」
 俺は、
 「いや。俺が自分で決めたんだ。君は何も悪くない。むしろ、俺の命の恩人として感謝している。本当に、ありがとうございました」
 と言って、はじめて秘書に敬語を使い、深々と頭を下げた。


 それからの人生は、金とは無縁だが、文学と美術と好きな人との時間だけに生きるようになり、俺は、幸せになった。