JONYのブログ

半蔵門の裏町で小さなBarをしながら文学と美術だけで生きている男のブログ

最初の妻との出会いと別れ


学生の頃、俺は学者にならせてもらう積もりでいたので、就職など考えることもなく、院に進み、1日の大半を院生研究室という名の自分の固定席と、大学図書館と、狭い一人暮らしのマンションの部屋の三点を行き来する生活をしていた。そのころの俺は、独身主義で、学問というすてきなものだけに生きて、俗事との関わりををなるべく避けていこうと決めていた。しかし、なぜか、数年前に知り合った平凡な女子大生との関わりが深くなってしまい、その女が就職してからも縁が切れないでいた。俺は、この女に向かって「君とは絶対に結婚しない」と宣言していたが、現実と言うやつはどんどん俺の理想を侵食し、気づけば俺の部屋に彼女の歯ブラシや下着の替えがこっそりと置かれるようになっていった。
つくづく思う。結婚というものは目的として、しようとしてするものではない。気づけば結婚していた。結果である。別に子供ができたとかいうわけではない。この女が親兄弟のことを大切にするのであれば、それに合わせてやろう。好きな女が、俺が美学とか主義信条を捨てることで幸せになるなら、捨ててやろうじゃないか。
この女が金持ちだったら俺は道を変えることもなかったかも知れない。しかし、彼女は平凡な会社員だった。「あなたひとりくらい私が養う」と言ってはくれたが、そういう生き方はしたくなかったし、そろそろ、学者の世界の人間関係のつまらなさがわかりかけてきたこともあった。俺は修士論文をでっちあげながら、自分ながらのビジネスモデルを考え、起業をして、社会から直接金を掴むことを始めた。人間関係の苦労をするより、金の苦労をしたほうがマシだと思ったのだった。


  事業というものは、タイミングと運だと思う。努力はたぶん無縁だ。最初の妻と結婚して十年経たないうちに、俺の会社は倍々と大きくなった。俺は、学問への情熱を完全に捨て、その代わりに、金儲けと節税と外洋ヨットのことだけしか考えない男になっていた。ひとと食事することが仕事の社長の生活は俺の体重を85Kgまでにしていた。そんなとき、俺が主催したホテルのスイートルームを使ってのパジャマパーティーに誰がが、一人の女を連れてきた。俺は、ちょうど洗面所で歯を磨いていてそのまま新入客を迎えた。歯ブラシを咥えたままで。それが、今の俺の妻との出会いだった。彼女はたまたま歯科技工の仕事をしていて、歯を大事にする俺のことを気に入ってくれた。


 最初の妻と出会うことで俺は人生の進路までを変えたのに、その後10年経たないうちに、俺は妻との家を出てこの歯科技工の女と同棲し始めた。 
結婚というものは、つくづく結果だと思う。同棲を始めて3年目の冬の夜、俺は今の妻に手を引っ張られて港区役所の夜間受付にいた。
「ここに、あなたの名前と、奥さんの名前を書いて」 
離婚届の偽造である。公正証書原本等不実記載罪にもなる。男の場合待婚期間がないので、婚姻届も併せて出した。証人の欄にはすでに彼女の友人ふたりの署名があった。


 ちなみに、最初の妻は、それから半年後、戸籍謄本をとってみたら籍が抜けていて、クレームの電話をしてきたが、裁判沙汰にはならなかった。俺が家出をして別の女と一緒に暮らしている間に、普通の女子大の英文科出の彼女は将来に不安を感じて一念発起し大原簿記学校に通い税理士試験に合格しており、離婚後も、俺の会社の監査役、顧問税理士として結構な額の報酬を得させていたからである。